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大和魂 サムライ教師イギリスへ渡る教員生活13年目にして夢が叶った 念願のイギリス留学記! 4月2日 プロとは何だろうか?~プロとは何だろうか?~ 前任校で50歳の誕生日を迎えた教師が言った。「私は、60歳になったら何をしようか全然見当がつかない・・・ 紺ちゃんはどう?」 この時、初めて自分が60歳になってどうしたいのか考えてみた。5秒で私は答を出した。その答は「僕は、まったく英語教育とは畑違いの学科で大学(院)に行きます。」だった。
現在、私はイギリスの大学院を卒業しようとして毎日論文と格闘している。自分の非凡さ、才能のなさと毎日格闘し、考えても考えてもいい構想が出ない時がほとんどだ。今一番目の前にある目標は、大学院卒業だ。でも、私の知的欲求は際限がない。この歳で、知れば知るほど自分の才能のなさに気付き、もっと知りたいと思い、知れば知るほど疑問が湧いてその疑問を解決しようとしてさらに勉強が始まる。 私の毎日はほとんど英語の授業案を練っている。でも、ほとんど毎日どうしたら今教えている生徒に最善とはいかないまでも、さらにベターな教え方が出来るかを考えていると(ずっと考えていないと出てこないのだが)、ふっと良い案が浮かぶときがある。最近では、3年生になって出てくる“受け身文”でいい導入の仕方がふと浮かんだ時は、これまたうれしかった。そしてそれを授業で試すと子どもの反応は今までよりも良い反応を示すのだ。こうした子どもの反応がさらに自分をパワーアップさせ“おもしろいじゃん、やはり時間かけて練っただけあるんだ”と自分を満足させる。そしてこの子どもの反応が、内面から自分を突き動かす原動力になる。 でもいつも思うことは『自分はこれだけしか授業できないのか・・・ まだまだ勉強不足だ。』と思うことだ。私はイギリス留学という夢を果たしたが、さらに大きな夢が出てきた。私は、歳を重ねるごとに知的欲求だけでなく、自分を鍛えることにさらに楽しみを見つけるようになってきた。そして、素晴らしい人に出会うと、自分を内面から突き動かし、その人に出来る限り近づいてみたくなる。 私の人生、そんな挑戦に満ちたものにしたい。
最近出会った素晴らしい人は、盲目テノール歌手の新垣勉さん(教科書で紹介されている)、石井裕(マサチューセッツ工科大学院教授:NHKテレビ“プロフェッショナル”で紹介)だ。 今の授業で私に一番求められているものは~今の授業で私に一番求められているものは~ 彼らの意識を変えるには並大抵のパワーでは通じないことはわかってはいるが、 早急に英語の授業で必要なこととは何なのかがわからないのだ。だが、1つ私が確信して言えることがある。それは、私がしたい英語の授業をするためには、クラスの規律を正すこと、授業を聞かせるようにしつけること、つまり“生活指導”と、“信頼関係を築くこと”である。この2つなしには、授業が成り立たなかった。だからこそ、怖い先生を演じなければならなかった。子どもなんて何も注意をしなければ(しつけなければ)、誰だって楽な方を選ぶだろう。
帰国後の私は、まだ未完成の論文を書きたくてとにかく時間が欲しかった。だが、自分の論文よりも私はプロとしてこの一生懸命やっている生徒を救うことと、 自分が理想としている授業を進めていくためにはどうしていったらいいのかを、考えていくことを先決に考えていった。気が付いたら、また渡英前と同じ自分がそこにはいた。つまり、日々の授業をどう組み立てていったらいいのかを自分の限界まで考えていたのだった。 子どもたちの現状は、一言で言うと、授業がわからないからやらない→やらないからつまらない、という悪循環に陥っているのだ。それに、人間なんて苦しい道と楽な道があれば、楽をしたいのだろうから、難しい英語なんてやりたくないのだろう。でも、私はプロとしてこんなに授業をきちんと受けない生徒にも“英語はおもしろい”ってことを伝えたいと思っている。渡英前に今の3年生に教えていた時に感じた“挫折感”をほぼ毎回授業後にこの2年生にも感じていた。でも、ここであきらめたら私の負けだろう。私にとってプロとは、どんな状況でも絶対にあきらめない人、限界まで自分を追い込み、今自分が持っている最善の策を子どもたちに講じることが出来る人、常に自分は凡人だと思って学び続け努力できる人のことである。昨日の自分を超えてみろ!と自分に渇を打って、私は2年生に授業をした。だがその後“完敗した!あー、おれの今やった授業はまったくジャンクだ!”などといった“深い挫折感”を味わっても、決してあきらめずにもっといい策はある、絶対にあるはずだ、と授業後10分の休み時間に学年職員室の椅子に座って考える。絶望感の中、今行った自分の授業のどこが悪かったのか、もっと良い案はなかったのかを探る。答など自分の中にしかない。絶望している自分を生き返らせるために、事故と闘う。この時闘うべく相手は自分だ。そう自分に負けてしまったらおしまいなのだ。今の自分はS中学に勤務していた時よりもかなりタフになっているが、私はもし自分に負けてしまったら生徒は必ずそんな私を見抜いていると思っている。 3月27日 人生は自分との戦い。自分に負けるな~人生は自分との闘い。自分に負けるな~ 私は、そんな先生方に影響を受け、たくさん学んできたのだと思う。そして、私も頑張ってそんな先生方に少しでも近づけるように努力していかないとならない、と日々思う。なんと言っても、教師である限り“授業”が教師にとっての生命線だ。われわれ教師は、この“授業”で生計を立てているのだ。そして、この“授業”が、何よりも子どもとの信頼関係を築く場所であるのだ。 私は幸いながら、夢であったイギリス留学を果たし、今また同じ学校に勤務させてもらっている。そこで学んだことは数え切れないが、そこでまた私は何度も苦味を味わされた。何度自分が出来ない学生であると思ったか知れない。出来る学生がとてもうらやましかった。教授とディスカッションした時、自分に何もないとまったく議論できないことを知り、何度自分の論文がジャンク(ゴミ)ほどの価値しかないことを知り、何度自分を追い込んで勉強し、これ以上出来ないと自分の限界にチャレンジし自分の限界を知ったかわからない。いつも絶対に自分を信じることが出来ていたのに、何度自分が信じられなくなったかわからない。 でも、私は絶対に逃げなかった。プレッシャーを楽しむ、なんて言葉があるけど、そんなことまったく最初は出来なかった。いつ退学になるか、最初の頃は弱気になり悲観的なことばかり考えていた。でも、自分を追い込んでこそ見えることがたくさんあることを知った。自分の限界への挑戦して、これだけしか自分は出来ないのかと知ると、他人が書いた論文がいかにすごいのか、自分がいかにちっぽけか、勉強できることがいかに幸せなのかを知った。そして、出来ない自分と格闘しながら、そこからまたはい上がろうと光を求めて、再チャレンジしていった。絶対に終点のないトンネルはないと信じて。出来ない自分とイギリスでは毎日が格闘の日々ではあったが、他の学生と比べて自分もひけを取らないことを発見した。それは、私は絶対にあきらめないで、コンスタントに努力出来ること。私は、努力できることも才能だ、と自分で信じていた。なんとか退学にはならないでイギリスを去った。最後イギリスを去る時には、苦い思い出も良い思い出に変えられたことに気付いた。
プロとしての誇り~プロとしての誇り~ 私たち教師は“プロフェッショナル”であるべきだ。そして私たちが学生だった時よく先生に言われたように私たち教師も“勉強しろ、向上心を持て。”なのだと思う。学生にそれを要求するのなら、われわれ教師も実践してそれを示し、教師の背中を見て、学生に「この先生、やるじゃん。おれも勉強してみようかな・・・」そう思わせることが大事だし、それも歴とした“教師としての仕事”であると思う。 私がその当時東京で一番荒れていると言われたS中学に勤務していた時、私が尊敬できる先輩教師が新年早々に私に言った。「紺ちゃん、この1年間子どもたちに何を教えてきた?自分が教えてきたことを3月になった時に、子どもに言える。そのことが子どもに浸透していて、子どもが“なるほど先生は確かにこういうことを言っていたなー”って言わせられる?」 私は、うなっていた。さらにその先生は言った。「それが出来ない教師は、いくら教師をやっていてもダメだから、そんな教師は早く辞めた方がいいよ。」手厳しい言葉だったが、その先生なしにこのS中学校が生まれ変わることはなかっただろう。私はこの先生から、一教師として大事なことをたくさん学んだ。 3月22日 教師となって素晴らしい教師との出会い~教師となって 素晴らしい教師との出会い~ 教師になってから1年目のことだった。指導主事と呼ばれる人たちに「教師は3年もすると勉強しなくなる」と言われた。“本当なのか・・・”と半信半疑であったが、私の場合はまったく異なった。3年目に出会った教師も大きかった。 この先生は、3年間英語の授業で日本語をまったく使わない、フラッシュカードであっても日本語は見せないで授業をする、と言うのだ。“嘘でしょうー”その当時の私は彼を信じていなかった。そこから研究が始まった。彼から、英語教授の理論を受けた。強烈なインパクトを受けた・・・ 何しろ私にはまったくわからなかったのだ。 3月20日 負けず嫌いのわけ~負けず嫌いのわけ~ 大学3年の時、青年心理学を勉強していて、自分がなぜこんなにも負けず嫌いなのかを知った。学ぶことで自分が変わることをさらに知ったが、その理由が自分の劣等感から来ているとはこれっぽっちも考えなかった。私は、貧しい生活が嫌でならなかったこともあったが、それよりもあまり学がない父親を超えて、 自分の夢であった教師になりたい気持ちの方が強かった。 浪人してしまった私だが、予備校で4時間、図書館で6時間、家でさらに3時間から4時間、1日約13時間ほど勉強していた時に比べたら、教師になるのはさほど難しいことではなかった。それは、やはりもう後はない落ちたら我が家ではこれ以上の贅沢は出来ない、つまり教師をあきらめるというプレッシャーに闘ったからでもあるのだろう。でも、今考えればなんと浪人時代は楽しかったのだろうか・・・ だって、一日勉強できるのだから。
3月19日 ~幼児期の自分~~幼少期の自分~ いつの頃からだろうか、私が小学生の頃、先生に褒められるからだろうか、出来ること、わかることが楽しいからだろうか、私は勉強することが嫌いではなかった。むしろ楽しいと思っていた。子どもの頃は本当に貧しかったけど、私は自分が人として学ぶべきことは親から学んでいたことに後に気がついた。人のために何かをやるとすがすがしい気分になれること、これだと思ったことは絶対にあきらめない、何かを決めたら一生懸命にそのことを最後までやり通す、一生懸命に何かをやると自分が成長していることにおもしろさを見いだせることを自分の経験から知っていた。何をするにも負けたくなくて一番になりたかった。 |
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